「僕のエッフェル塔と君の凱旋門でパリを作ろう」って告白したらフラれた
う~ん。成果はともかく、なかなか気の利いた告白の仕方だ。
「君のオーシャンビューをおれに見せてくれ。」
う~ん。気にしないでほしい。MASAKIは最近「レトリック」や「メタファー」の練習に励んでいるだけだ。
ただ、なかなかうまくいかない。
「不確実性」を身近に感じてみる重要性
例え話ついでにちょっとした質問をしてみたい。
「あなたは、道を歩いてるとき、上からレンガが落ちてくることにビクビクしながら歩いているか?」
こんな質問を受けたら即答で「はぁ?そんなわけないじゃん。」となるだろう。誰もそんな不透明な「不幸」を意識しながら道を歩いてるわけがない。そんな人間がいたら、心臓がいくつあっても足りないだろう。
「あなたは、仕事をしてるとき、上司や他部署から怒られることにビクビクしながら仕事しているか?」
こう質問を変えるとどうだろう。
人によっては「むむむ」となるのではないだろうか。
ビジネスでもVUCAなどの言い回しのように、よく「不確実性」とか言ったりするが、難しく考えるよりも、もっと卑近な例・自分の例として「不確実性とは何なのか?」という点を身近に感じた方がいい。
なぜなら「大して知りもしないで使ってる可能性」が高いからだ。
「不確実性」は揺れる
何が「確実」で何が「不確実」なのか。
人間は「確実」なことを「確実」に把握することが可能なのか、もしくは「不確実」なことを「確実」に把握できるものなのか。
まるで禅問答のようだが、先ほどの
「あなたは、仕事をしてるとき、上司や他部署から怒られることにビクビクしながら仕事しているか?」
に「むむむ」と思った人は、要するに「はい。いつ怒られるかもしれないと不安になってます。」という状況だろう。この「不安」を「不確実性」と間違って捉えてしまう人は本当に多い。
「怒られるかどうか、もしくは怒られることをしたのか、まだわかっていない」状況なのに、「怒られるだろうという不安」を持ってるというのは、言葉にするとかなり奇妙なことだ。何故かというと、「怒られるかわからない」のに「自分の中で勝手にそう思っている」からだ。
言い換えると、「あくまで主観で不確実なことが起こると確実に思っている」という状態だ。うーん、やはり言葉に落とすと奇妙な表現だ。こういうタイプの人間は、今の職場で働いてること自体不安でたまらず、漠然と将来にも不安を抱えてることだろう。
ここからの含意として「主観が不確実なものを確実なものと誤認させる可能性があるのであれば、「不確実性は客観的に測られないと不確実異性たり得ないのでは?」ということは言えそうだ。端的に「主観で勝手に想像してることは不確実性ではない」ということだ。
現に、同じ環境で同じパフォーマンスレベルの人間が、全く違う反応を示すこともあるだろう。
「いやぁ、ビジネスって難しいけど、チャンレジできるのは楽しいなー。楽しいついでにお金までもらっちゃってラッキー♪」
これはまさにMASAKIの考え方だ。
ビジネス自体は大きく変動するし、それに伴い自分へのプレッシャーも強くなるものの、それ自体楽しめて給料もらえるならストレスとは距離を遠ざけられるタイプということになる。
副業を始めた人なども同じ感覚かもしれない。未知なる領域に片足を突っ込んで見えてくる「不確実性」は、その人にとってはワクワクする未来像そのものだろう。「どこまでやれるか?」「どこまで大きくなるか?」「ダメでももともとゼロだったものだ。損はない。」などと、不確実性の振れ幅自体を妄想しながら楽しんでる状態。
主観で「不確実なもの」をどんどん妄想し、その妄想自体を楽しんでる状態。不確実性を不安視するパターンとは真逆な感覚だ。
ここまでの話を整理すると、
- 不安要素に繋がる不確実性は客観視に把握すること → 「ここが底」などと「振れ幅」自体を定義すれば案外安心する。
- 楽しい未来に関する不確実性は意識的に主観で捉えようとすること → 妄想が駆け巡り、不確実性の幅が無限に広がっていく(楽しい世界観が広がっていく)
と使い分けできれば、もっと人生は楽になるのではないだろうか。
そう。「不確実性は揺れる」ものであり、ある意味で、操作・把握が可能でもあるということだ。
「不確実性」は忘却する
更にちなみに、そのときに「不確実」だと思って不安になってたとしても、人間は喉元過ぎると「完全に忘れる」。不安だったことも一切合切きれいに忘れてしまう。何もなかったことにするのだ。
例えば緊急事態宣言に入る直前に、「今後の市場の動向」みついて予測を立てたことがある。
MASAKIの見立てで営業側の数値をコントロールして提示したが、緊急事態宣言以降はかなり市場が低迷と推定。一応、緊急事態宣言の解除後は、一定レベルに市場が回復するというシナリオをしたのだが、これを聞いた人からすれば、この振れ幅自体が「不確実な幅」と捉えられるだろう。
あちこちから「本当に大丈夫か」「回復するのか?」「お先真っ暗じゃないか」といった声が多かった。
実際に緊急事態宣言が明け、市場が予想に近いラインまで回復を見せるとどうだろう。その不安がってたチキン野郎たちは、きれいに目の前からいなくなった。そのうちの一人なんて、「いやぁ、まぁこれくらいに回復すると思ってたよ。日本経済も回復しないと政府レベルでやばいからね」
などと後から言ってくる輩もいた。悪い意味で言ってるわけではない。
あるとき強烈に「不安」になってることも、あるティッピングポイントを過ぎると「みーんなすっきり忘れる」ということだ。これは「結果的に良くなったケース」に安心しているというわけではない。
実際に良くなろうが悪くなろうが、「結果」「事実」が見えるだけで人間は安心する。安心するというか、「先の不安」は解消される。「先の不安(未来)」が「現実に起きたこと(今)」になっただけで、ある意味迷わなくなる。なぜなら単純に「もう現実のこと」だからだ。
それを理解しておくと、「人間はなぜ無駄に悩むのか?そもそも悩むだけ無駄じゃね?」という真理に至ると思わないか。浮揚に未来に「不安」を覚えるよりも「今」を直視た方がいい。未来には「不安の種」が多いからだ。
なかなか割り切れない人もいるだろうが、人間はそんなもんだ。
「考えることに価値はある」
「悩むだけ無駄(考えると悩むは別もの)」
「不安はコントロールできる」
この3点くらいを意識すれば、もっと楽に人生を生きられる。そんな気がする。
主観で「確実性」の領域を勝手に増やす。同時に「不確実性」を刺激と捉えてチャレンジしていく。こういった「確実性」と「不確実性」のポートフォリオは、非常に大事なことだと思っている。
「僕のエッフェル塔に登らないか?」
やはりメタファーは難しい。。