「人が人を育てる時代」は終わったのか?
〜若手指導がハラスメントになる時代に、育成はどう変わるべきか〜
ある大手企業の管理職が、最近こんな愚痴をこぼしていた。
「指導するのが怖いんですよ。ちょっと注意したら、“それパワハラです”って言われるかもしれないから…」
笑い話のようで、もはや誰も笑えない。現場では、「育成」や「指導」がリスクになりつつある。かつては“背中を見て育て”で済んでいたことが、今では“言葉選びを間違えれば即アウト”の地雷原だ。
今の若手は、言われたことを咀嚼して成長の糧にするより、まず心の安全を優先する。ちょっとキツく言えば、「否定された」「人格を攻撃された」と感じてしまう。悪気がなくても、それが「感じられた」時点でアウト、という空気が広がっている。
若手側のリアルな課題:自分を守ることに最適化された世代
指摘=否定という認知バイアス
→ フィードバックを「攻撃」と捉える傾向が強い
自己肯定感に対する依存
→「正しいことを言われた」よりも「傷つけられなかったか」が重要
学習の受動性
→「自分から学びに行く」よりも「教えてくれないのが悪い」と思いがち
リスク回避のマインドセット
→ 間違うぐらいなら発言しない、チャレンジしない
これはもはや個人の性格というより、社会構造の問題だ。SNSでは、少しでも炎上しそうな発言は即自粛。学校では「みんな違ってみんないい」と教えられ、正解よりも共感が重視される。
こんな環境で育った若者に、「成長のためには失敗を恐れるな」と言っても、響かないのは当然だ。
教える側の葛藤と限界:「教える」がハラスメントになる時代
指導する側もまた、厳しい立場に置かれている。
ハラスメント認定のリスク:注意や助言すらも、誤解されれば攻撃扱い
属人的な指導力への依存:誰が教えるかで成果が変わってしまう
育成の成果と業績の板挟み:育てる暇がない、でも結果は求められる
たとえば、丁寧に業務を教えたつもりでも、受け取り手が「怖かった」「圧を感じた」と社内通報すれば、それだけで調査対象になる。まるで地雷原でおにぎりの握り方を教えるようなものだ。味はともかく、爆発しないことが最優先になる。
結果、誰も何も言わなくなる。若手は学べない。中堅は育たない。組織のノウハウは蓄積されない。こうして“誰も育たない会社”ができあがる。
では、どうすればいいのか? ――「人が人を教えることの限界」を前提に、設計を変えよ
ここで必要なのは、「人が人を教える」という前提を一度、横に置くことだ。
人間は感情的な生き物であり、完璧な教え方も、完全に受け止める力も持ち合わせていない。だからこそ、「人間が育てきれない部分は、別の手段で補完する」という発想が重要になる。
今後の人材育成5つの提言
1. AIやテクノロジーを「教える存在」として活用する
ナレッジはAIに学ばせ、社員には24時間対応の「優しい先輩ボット」を。人間が繰り返し説明して疲弊するより、常に同じトーンで答えるAIのほうが効率も心理的安全性も高い。
2. 人間は“感情と意義”に集中する
スキルや知識の伝達はAIに任せ、人間は「なぜこの仕事をするのか」「何のために学ぶのか」といった意味づけや動機づけに集中する。
3. 育成関係を上下から“並走”へ変える
指導する・される関係ではなく、共に問いを持ち、学び合うスタイルへ。ピアラーニングや1on1を活用し、「一緒に考える時間」を設ける。
4. 成長を“結果”ではなく“姿勢”で評価する
できた/できないではなく、「どれだけ試行錯誤し、内省し、努力したか」を評価軸に。
5. 育成責任の“分散”と“文化化”
一部の上司やメンターに任せきりにせず、組織全体でナレッジをオープンに共有。育成を“制度”から“文化”にすることで、誰もが学び手・教え手になれる。
人が人を育てる、という幻想を手放し、新しい育成文化へ
「もう人が教えるのは無理だ」――そう思ったときこそ、育成を“人だけで抱えない”設計に変えるチャンスだ。
育成とは、命令や指導ではなく、「共に意味を見出す旅」だ。AIを使い、対話を使い、時には沈黙を許容しながら、互いに学び合う文化を育てていこう。
そう、育てるのではなく、育ち合う社会へ。
あ、ちなみに私、パワハラ・セクハラ、セ・パ両リーグじゃないっすよ。