It’s ET!

ふと思い出した。

一昔前の職場で、キーボードを人差し指のみで打ち込みしてたパソコン音痴のオジサンのあだ名が「ET」だったことを。

新車みたいな「新型コロナ」という名の恐怖の感染症。

昔PCが台頭してきたときのような社会変革が訪れるのだろうか。一体それはどんな世界なのだろうか。各企業ともwith corona / after coronaの世界を読み切って、社会に打って出ようと思ってる頃だろう。

まぁ、コロナは長期化するし、影響が大きい産業・企業を中心に今後数年のうちに産業構造の変化もあちこちで起こるだろう。ただ、今時点でその変化を予測するのは危ないと思っている。

それをすると、結果として解釈を誤る可能性が高い。今はじっと「変化を見つめること」や「その変化に順応すること」が重要だと思っている。

誤解しないでほしい。

先日書いた「寂しがるおっさん化」現象は、まさに「今の現象」を見て論考したものだ。これが行き過ぎて、「コロナ後のニーズはこれだ!」と決め込むのは危険だということだ。

落ち着け。今は沈黙・思考のときだ。

なくなる世界

とはいえ、遠からぬ未来のニーズを予測するときに、しておいた方がいい事はなんだろうか。それは今後「衰退していくモノ・コト」「不要になる習慣」「ダメになる現象」といったネガティブ要素の読みだと思っている。

真夜中の御徒町 @sibirerucake

女友達から言われる『絶対脈ありだよー!』はいつも当たらないし、『あんな男やめた方がいいよ』はビビるほど当たる

2020-04-28 21:37:59

ある意味真理に近い格言かと思ってしまった。科学的であるとか論理的であるとか、そんな疑問を挟む余地はない。

「悪い匂い」の方が人間は敏感ということだ。

MASAKIは「科学」も人間の「直感」もどちらも大事にしている。

間違いなく言えると思うのは、「コロナにきちんと向き合う企業」と「コロナになっても変わらない企業」が存在しているという事実だ。このうち後者の「コロナになっても変わらない企業」は、ほぼ確実に「はぁ、早くコロナ終わらないかなぁ。早く元の生活スタイルに戻りたいなぁ。」と考えていることだろう。

元に戻るわけがない。

補足が必要だが、コロナ自体はワクチンの供給なども相まって、いずれは収束する時が来るかもしれない。それはそれで切に願いたいことだ。

一方で、「コロナ禍で経験した仕事のこなし方」は、コロナの終焉とともに消え去るのだろうか?また、満員電車に乗って、見ず知らずの人と顔を20センチの超近距離にし、痴漢してるのか、痴漢されてるのかわからないほどギューギュー詰めに電車に押し込まれる日々。会社のあとは、たいしておいしいわけではないが、そこそこの居酒屋で上司や会社の愚痴を言いながら、酒で気晴らしをする日々。

もとに戻るわけがないだろう。

リモート活用など、コロナ禍であってもパフォーマンスが落ちないやり方を強制されている期間があったわけで、それ自体は進歩となる。進歩したものを更に昇華することはあっても、わざわざ退化させることはありえないだろう。且つ、リモート活用は本質的に、時間的・空間的ギャップを埋めるという側面がある以上、公私ともに効率化した生活を担保できる土壌ができたことになる。

人間は本質的に便利なったものから後退することは望まない。ただその一点だ。

その不可逆な流れが予見される中、「コロナにきちんと向き合う企業」と「コロナになっても変わらない企業」の行動差異はどんどん顕著になるだろう。あと1~2年もすれば、良かれ悪かれ企業パフォーマンスの差異として出てくる気がする。「行動」によって「業績」がもたらされる以上、「行動差異」は「業績差異」に直結するのは自明の理だ。

20年位前にPCが各社員に導入されてから、その後に「やっぱりPCなしのやり方に戻そうか?」とはなるわけがないように、「コロナにきちんと向き合う企業」は少しずつ「何か」に変わろうとしている。

なので、おっさん社員が必死に「ET打ち」から「スマートなタイピング」の習得しようとしたように、来るべき世界に向けた「何か」を習得すべきタイミングになっている。且つ、その「何か」は「スマートなタイピング」といったわかりやすいものではなく、もっと多様であり個々人の自由裁量で設定すべきものとなるだろう。

今、気づかずに「ET打ち」をしてるのでは?と疑問をもった人は(私も含めて)、必死に「何か」を探し始めた方がよいのだろう。

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