「できない事って何?」
こう問われて考えてみると、できないことがかなりある自分に気づかされる。
「MASAKIは、残念ながら空は飛べないし、透視能力も備わっていないし、スタンドを出して時を止めることもできない。できないことが多すぎて、時おり自分の矮小さに嫌気がさしてくることがあるさ。」
仕方がない。今の自分もちゃんと慈しんであげないと、精神は凹むばかりだ。自分ができることとやりたいこと上手くミックスさせて、前向きに日々楽しむことを考えていきたい。
3つの思考の断絶の罠
「コロナとの戦いにはソーシャルディスタンスが必須だ!」とよく言われる。結果、各国でロックダウンをする事態となり、強制的な「距離」を確保することが求められる。
一方で経済にはかなりのダメージを与える事態となっている。この「距離を取ること」と「経済活動」がトレードオフの関係となっているわかりやすい図式。
わりとここで、「困ったね~」「今後はどうなるんだろうね~」といった感想で終わる人は多い。ここが1つ目の思考の断絶のポイントだ。ここから先の未来がスパーンと閉ざして無思考に陥る感覚。
MASAKIのオカンはこの手のタイプだ。
ある人たちは思うだろう。
「経済の再開」と「コロナとの戦い」はトレードオフで考えてはならない。目先で収入は激減する中、今の国の施策は全て将来の税金に転嫁されるだけなのだから、このままトレードオフで考えてはならず、如何に乗り越えていくか、つまり如何に両立させられるがポイントだと。
「距離感を取る必然性」を前向きに捉えて、「どこにニーズが移るか、新たに生まれるか、社会はどう変わるか」を捉えようとする。これは至極当然な思考のスタンスだ。
だが、この課題が個人単位になった途端に、この思考のスタンスが欠落する人が多い気がしてならない。
どうも他人事のように考え、人によっては「これまでの生活に戻れたらいいなぁ」などと、お花畑にいるような発想のおっさんも多いように感じる。
これが第2に思考の断絶のポイントだ。
「経済」「会社」「世の中」といった、「何か大きな世界」で語る場合には、トレードオフの視点を解消しようと思考する。でも、自分事としての問題に本当の意味で落とし込めてるかが不安点なパターンだ。
「そんなことはない!おれは、社内でもwith corona / after coronaで中期的なプランを検討中なんだ!」といきり立つ人に聞きたい。
「この2~3か月間で、あなたは自分の生活をどう変えたのか?」
ここで言うのは、単に「職場が自宅に変わりました」ということではない。これでは単なる「働く場所の焼き直し」程度のことだからだ。違う言い方をすると、「この2~3ヵ月で、新たに何を手に入れたか、手に入れようとしたか」という問いに置きなおすこともできると思う。
この問いにサクサク答えられる人は、すっかり人間観も刷新され、二度と前の生活には戻ることはないだろう。なぜなら「新たに何かいいものを手に入れた」わけだから。
間違いなく自分に関わるコロナの問題ですら自分事に落とし込めない人、具体的に自分の生活に準えて組み替えられない人は、もう少し時間が掛かるのかもしれない。ただし、意識しない限り、この手の具体化にはリーチできないまま時間を過ごすことになるだろう。
一般的に、新たな習慣は3週間・3ヵ月という期間を要して身体に馴染んでくるという。基本的に脳は、「普段と違う行動に対して拒否反応を示す」傾向があるらしいからだ。動物としての先祖からの経験で、この考え方が種の生存確率を高めたというのがDNAレベルで刻まれているのだから仕方がない。
ここが第3の断絶だ。
つまり、「自分事に捉える意識」を持てる人、つまり「自分を変えたい」と思いたった人でも、強力な脳の作用によって「新しい習慣化」を手に入れることは容易ではないということだ。
ラッダイト運動
産業革命のときに起こった反近代的運動で、イギリスで起こった労働者による機械打ち壊し運動だ。
「機械化によりおれたちの仕事がなくなるじゃないかー」ということで、繊維工場の工業用機械をハンマーでガンガン壊したらしい。ちなみに、破壊などの威嚇行為を行うことによって、賃金をはじめとする労働条件の改善を求めた運動でもあったとのこと。
「人間の無知と欲が重なった、なんともおぞましい運動だ」
こう思った人は多いだろう。
ただ、こんな激しい世の中の変化を踏まえて「自分事」に落とし込めない人は、ハンマーをスマホに持ち替えてクレームしていく世の中になる気がしている。
簡単すぎる思考はもったいない
諸悪の根源は、「簡単すぎる思考と、そこからの思考の停止」にあると思う。
「世の中なんて予測しきれないじゃない!」(女子風)
と感情的になる必要はない。誰も「将来を読み切る」ことを求めてなどいない。必要なのは、「あるかもしれない、ないかもしれない、自分なりのストーリー」でいいと思っている。
想像・妄想の延長で、勝手気ままな未来像を描いてみるということだ。
このときにMASAKIが重視してることがある。
ずばり「ノートを1冊開いて、そこに言葉や絵を描いていくこと」だ。
これは何かというと、小さい枠に思いついた短い言葉を書いていく。最小単位の「要素」を書き連ねると言ってもいい。何気ない言葉でいいし、書きだした各項目がはじめから繋がらなくてもいい。そのうちに、繋がるものが見えたり、あるいは足りない要素が見えてくる。
更に、この「要素」を違う視点で見ると、ネガティブ表現だったものが、ポジティブな側面を持ってることに気付いたりする。こういったことを繰り返してるだけで、自然に何かが見えてくる。
最初は小さい雪だるまみたいなもので、この「要素の洗い出し」に時間が掛かったりするかもしれないが、あるタイミングから加速度的に未来への話を描ける段階に入ってくる。
イメージは漫画と一緒。
最初に登場人物とそのキャラクターの設定。物語の背景の設定などが、「要素の洗い出し」にあたる。これが一通り書けるようになると、ちょっとしたきっかけで、一気にストーリー展開ができる、そんな感覚だ。
繰り返しだが、「未来を当てに行く」話ではない。
どちらかというと、「自分の個性を未来に投影した感覚」という方がしっくりくる。それは当然だ。自分の認知の範囲でキャラ設定や背景の設定をしてるのだから、その時点で自分色の世界観なわけだ。少女漫画が好きな人もいれば、バトルものが好きな人もいる。単純にそう言った個性の差がストーリーに反映されるわけだ。
世の中、ソーシャルディスタンスを取ることが必然な世の中で、この「ディスタンス」の程度に応じた段階的な課金システムがあるといいな。
とMASAKIは夢想してる。例えばあるレストランにて、
通常の席(席が隣接してる状態) → チップ 0円
ちゃんと席間の距離が取られてる席離れてる席 → チップ 1,000円
ちゃんと仕切りがある席 → チップ 3,000円
イチャイチャパラダイスな席 → チップ 5,000円
今後、MASAKIは堂々とイチャつけるお店だけに通うことになるだろう。