モンキーパニック

コロナ以前では、派手に外で豪遊したり、着飾って流行りの場所に出かけたり、休みの日には海外旅行など、平たく言うと「お金を使って」満足を受けるような場がふんだんにあった。それが今は、質素にふだんの生活からちょっとした喜びや楽しみを見出していくという生活が続いている。

日常生活からこういった「派手さ」が取り除かれた状況では、必然的に自分を見つめる時間も増えてくるわけで、自ずと「より人間らしく」というテーマで生活を送っているのだと想像している。

経済活動が再開した瞬間に「ヒャッハー!」と飛び出す輩は間違いなくいるが、そういう輩はコロナ前から「ヒャッハー!」だ。

with corona / after corona時代には、人間らしいところを意識し、人間はもっと優しくなる、という見立ては大きく外してないだろう。思想・嗜好が変われば、表出化するニーズも変わってくるはずなので、既存のビジネスもちょっと変わってくるはずだ。

ひらりん@1219hr·

メイドや執事などがフィーチャーされた喫茶があるなら元カノ喫茶はどうか。「コーヒー。ブラックで」「相変わらずだね」「えっ?」「おひさ」「お前……ここで働いてたんだ」「うん。砂糖2つだよね」「いや1つ」「そっか……3年前のままじゃないよね……」みたいなホロ苦さが体験できるの。泣ける。

ホロ苦さが体験できる喫茶だ。これは泣けるし、ウケると思う。この店に2~3回通うようになるにつれて、また恋愛気分が再燃して交際まで至る、といったプロセス・サービスがあると必然的にリピーターも見込みやすい。

シチュエーション設定は客ごとにカスタマイズしてげよう。VRを使って、「札幌の寒空のクリスマスに振られた彼氏役」から始まって、「3年後にお互い社会人になって東京でばったり会う」といった演出なんて最高じゃないか。

思い出して涙しそうになった。。

with corona / after corona時代は、「感情」をどう読み解くかがMASAKIのテーマだったりする。趣味ともいう。

主張を立てるということ

コロナが蔓延し始めてからニュースやSNSを見ていやになることがある。それは、いろんな人が多くの人をディスってる内容が格段に増えてきてるという点だ。

ここでポイントにしたいのは、その個々の主張したい結論そのものというより、結論に至るプロセスやロジックの話だ。

一般の人がSNSや街頭のインタビューなどで「●●はダメだ」「あいつは●●だ」といった内容が席巻するので、主張はわかるが主張の根拠がよくわからん、ということがよく起きている。

SNSなどのツールでは、主張者のロジックも中途半端にならざる得ないし、批判者のロジックも同様に中途半端になりがち。このお互いに中途半端な状態で盛大に喧嘩してたりするのが、第三者的にはたまらなくきつく感じるのだ。

MASAKI自身もよくあることだが、がっつりロジックを固めたうえで話し始めたつもりが、「あれ?もっと深いことを考えてたつもりだけど、なんか浅漬けのような軽い味だ。。」と自分の意見が陳腐化したように思えてくることがあったりする。

まさに「モンキーパニック」だ。

論理的飛躍や論理の矛盾、そもそもの知識の不足など、一定の主張を唱えるにはそれなりの準備がいると思う。コロナをお題に挙げた場合には、多岐にわたる観点・論点があるわけで、余計に主義主張に繋げる準備は必要だ。

ただ、実際はMASAKIのおかんも軽く意見したりしている。もちろん家庭内の話だが。コロナという特大の課題である一方、それがほぼすべての人たちの実生活とは切り離せないものだから、軽い意見が出てもおかしくない。

ただ、大っぴらに喧嘩をしてる姿は、見ていて全く気持ちよくないのだ。

もっと仲良くしようよ。もっと前向きに解決策を考えようよ。単純にこういう気持ちだ。

「ドラフトを書く」=「主張をまとめる」という当たり前の事実に向き合う

猿にならないためにはどうしたらよいのだろう?

人間は、無意識な思い込みや、偏った認知を完全に払しょくすることは難しい。ただ、「自分が想定できる範囲で、ドラフトを書き切る」ということはできるはずだ。

「自分が想定できる範囲」とは「その人の能力の範囲」なのだから、「ドラフトが書けない」という人は「書けない」のではなく「書こうとしてない」だけ。字数制限のない大きない文量で論じてもいいし、パワポにまとめるのもいい。

「書き切る」というルールさえ守れば手法は問わないが、「書き切る」という行動をしたときに、はじめて「自分の粗さ」が見えてくるのだ。「自分の粗さ」が見えてきて、はじめて「他人に優しく」なれるのではないだろうか。

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