酒飲みの不思議なところは、「酒を飲んだら本音がでた」と言いつつ、
「酔っ払ってて本気じゃなかった」という矛盾する理屈を平気で言うところだ。
世の中には、「信用しちゃいけない言葉」というのが山のようにあるわけだが、
「信用しちゃいけない言葉」
ごめん寝てた
頭いい奴の「全然勉強してない」 怒らないから言って
完全無料
結婚式の「誓います」
女子の言う「可愛い」
行けたら行く
映画のキャッチコピー「全米No.1」
少し休むだけ
ずっと友達だよ
女子の言う「大丈夫」
そろそろ本気だす
先っちょだけだから
この辺は昭和の時代から脈々と受け継がれる代表的な「信用できない言葉」であろう。
「Aさんは信じられる、Bさんは信じられない」という感覚は、個人的な主観が伴うものだし、その人の雰囲気も含めて感じとるものだし、相互の相性の問題だったりもして、単純に定義することはできない。
同じように定義が難しいもので、一流と二流・三流との区分にも同じことが言えるだろう。個人のいろいろなケイパビリティを総合した結果、ある領域において一流と言われたり二流とみなされたりするものだ。
「どこまでいけば一流で、何ができなかったら二流に成り下がるのか」この辺の定義を言語化するのは非常に難しい。
一流の定義はブラックボックス
まず「客観的に定義できること」で測ろうとしてもそれほど測れるものではない。
〇〇資格や〇〇受賞、〇〇大学卒業といった、わかりやすいタイトルがあれば、一見すると客観化・一般化できてるので、「あの人は〇〇の能力を持っている」と定義できそうに感じる。
ただ、国家公務員に受かったとしても冴えない人はいるだろうし、医者においても腕利きの医者もいればヤブ医者もいるはずだ。
- 何かを測るには比較が必要(あくまで相対評価)
- 測る基準は自分が知る範囲(認知)が基準
つまり、自分の主観に基づく相対評価をしてることになるわけだ。
Aさんがイラストレーターとして活躍していたとして、おそらくMASAKIの目からは「一流だ」と見えてしまうだろう。これがBさんという神絵師から見ると「まだまだ線画が甘いなぁ」となる可能性もある。ここにバラバラな主観が、それぞれの視点で相対的に評価することになる。
つまり、一定数の人たちに投票による格付けをさせないことには有意なマクロデータにはならないと、「あの人は誰から支持される一流だね」とはなりにくいということだ。そんなことが簡単にできる仕組みがない以上、一流の定義はブラックボックス化されやすい。
また、主観に関わる判断を他人に押し付けること自体が意味ないし、その逆もナンセンスということにもなる。
一流は狙うな
一つ言えることは、個人単位ではあくまで主観に基づく判断なわけで、自分の中で自分の力量に対して測る基準を設けることはできる。つまり、一流・二流の区分は自分の価値観・ゴールなわけで「なりたい自分との距離」を測るのに有効だということだ。
ただ、ここでとても大事なポイントがある。
「決して、一流は狙うな!」
ということだ。人によっては、ちょっと妙に聞こえるかもしれない。
「なりたい自分」が見つかって、イメージを固めて勉強などの努力を励もうとする。どうせなら「一流」や「上級者」を狙いたいものだ。そんな自分に「一流・上級者を狙わなくていいですよー。」というのは、水を差されたと感じるかもしれない。
これは、「本」のジャンルに例えるとわかりやすいかもしれない。
- 初級本:その分野の全体感がわかる
- 中級本:その分野の深さがわかる
- 上級本:「ミジンコ調べて30年」の領域に達する
というように、中級と上級の間には、非常に高い壁がある。おそらく想像を絶するほどの差があるということを理解しよう。
ギター演奏のレベルでいうと、一般的に初級者は全体の10~20%くらいだろうか。では、中級者と上級者はどれくらいの割合だろうか?まず間違いなく「中級者は残りの8割」を占めるということだ。
「あれ?上級者はゼロ?」
そういうことではない。上級者は1%くらい、多くても3%くらいだろう。
感覚的に、ギターを弾く人で「こいつ、まじプロ級にうまいぜ」という奴は、30人会っても1人いるかどうかだ。100人会って1人くらいはいるだろう、というのが正しい感覚。
MASAKIも多少はギターを弾いて楽しむ時間がある。初級者ではないが、決して上級ではない。ずっと「中級」が続いてる感覚で、「自分が心から弾きたいプレーは死ぬ直前くらいにできるのかな。いやできないんだろうな。」くらい思ってる。
それくらい長い期間「中級」に留まっているのが普通なのではないだろうか。
この「留まっている」という感覚は大切で、ある意味、その自分のレベルを楽しめていることを意味する。「上級者になりきれない自分」に失意を持ったり、不甲斐ないと思い始めると、きっといつかギターを弾くことをやめてしまうだろう。
つまり、「一流を狙うな」というのは「一流でありたいことに固執すると、その設定した理想像に振り回されるリスクがあるぞ」ということ。
すべては「楽しむ」ことから
夢中になるものがない人や、興味があるのに努力しない人は論外。
ただ、「努力の対象があって努力しているにもかかわらず、今の自分に悩んでる人」というのは、「今の実力の自分を楽しめてない」ということを意識しよう。こういう視点で対象へののめり込み方、夢中になる方法、を意識しないと、やること自体が無駄に感じてくる。苦しくなる。
また、「努力する、苦行をする」という発想より、「夢中になり遊び尽くす」という視点での取り組みの方が成果は大きい。少なくとも、心の持ちようとしてはとても気持ちのいい自分でいられる。
ビジネスは大人の遊び道具。
下手にサラリーマン化するよりも「ビジネスを遊び尽くす」ことと、「中級ながらも全力で夢中になる」ことが成長になるだろう。
二流を楽しもう。