世の中は「嘘」や「誤解」が蔓延している。
MASAKIの経験上、飲み会で女の子が「酔っちゃった…」と言っても100%酔ってはいない。
本当の酔っぱらいは「酔ってない!」て言い張るもんだ。
酔いの程度は「目」を見るのが鉄則だ。どんなに酔ってないふりしてても、「目」がトローンとしてたら酔いが回っている証拠。
ちなみに「笑ってる」か否かは眉間でわかる。
どんなに巧みに口角を上げて笑いを取り繕っていても、心から笑ってない場合は眉間が高倉健のようにギュッと寄っている。
そういえば学生で実家にいたころ、女の人と歩いてるところを彼女に見られて、
その後日、「あのブスな女は誰!?浮気してたんだ!別れよ。」と言われたことがある。
「そのブス、おれのお姉ちゃん。」
世の中の嘘や誤解は恐ろしい。
特にちょっとした誤解が命取りになると信じてるサラリーマンはその鉄壁の防御で巧妙に嘘を取り繕う。
尊敬してないのに尊敬したフリ
会議で寝てるのに起きてるフリ
知らないのに知ってるフリ
やってないのにやってるフリ
男女のトラブルになるような嘘や誤解より、サラリーマンのそれの方が人としてよっぽど性質が悪い気がする。
損得だけで動く男女関係より、損得だけで動くサラリーマンの方が巧妙で厭らしいという意味だ。
ビジネス上の嘘とは?
人間は多様な生き物で、その全てを解き明かすことはできない。但し、ビジネス上の話で出る「嘘っぽいもの」を見抜くことはできる。これは「技術」の問題だ。
ただ話を難しくするつもりはない。要は、言ってることに「納得できるか、納得できないか?」という単純なモノサシでいいだろう。この前提に立てば、人間の「納得のレベル」はどこに求めればいいのか?という問いが成立する。
人間が納得するのは、「複数の要素が合理的な繋がりを感じる」場合に「よく納得できた」となるだろう。「複数アプローチ」というのは、かなり強力に人の納得感に影響する。
・課題に挙がったことを構成する要素(事実や想定)がその課題を捉えてること
・その各構成要素が有機的に繋がりを持って合理性が担保されてること
単純にロジックツリーを想像してみればよい。
「課題」の解決となるべく「構成要素」を分解していく。その構成要素に何らかの「意味合い」を持たせる。それが全体として納得できるものであれば人は納得する。全体の流れをストーリーで捉えられるとなおベター。
これは脳の記憶の構造と同じだろう。
脳は1つ1つの情報を単体で覚えることせず、関連する項目を紡いで全体の「理解」となる。それが繰り返されると「記憶」となる。
「納得」でてきても「正しい」とは限らない
但し、これには注意が必要だ。世の中の多くのコンサルが多額のコンサル料をもらってるにもかかわらず、その会社の業績は全く回復してこないといった事例は枚挙にいとまがない。つまり、「納得」できたからといって、それが「正しい」か否かは別物だという認識がとても大事。
よく、「理解はできるが納得はできない」という言い方がある。これは合理性はあるものの、心のどこかで拒んでる状態だ。
おそらく、経験や知識・感覚に基づき直感的に「心が拒否」してるのだろう。
「多様な視点」を持つこととは?
「よく視点を変えて考えて」といった話は出るが、具体的な「意味」と「方法」を理解した方がいい。
「視点を変えることの意味」は「ある要素を違う角度から見る」ということだ。1つの事象は1つの表現で収まらない。
・彼女はMASAKIの姉だ
・彼女は黒髪のブスだ
・彼女はダイエット病を患っている
このように「1つの要素」には「多様な意味合い」があり、それは「角度を変えること」で見るといい。実質一元・形式多元と表現してもいいだろう。
この「実質一元」の何かを、「ある1つの要素(視点)」のみで判断することは危ないということだ。
「視点を変える方法」は「主体を変えること」をお勧めする。
市場のある状態を分析する際、「顧客」の視点でとらえるのか、「メーカー」の視点か、「競合」の視点か、「政府」の視点か、といったように意識的に「主体」を変えればいい。漠然とした分析には、主体をどこに置いた発言なのか、まったくわからない場合が多い。
よく話が混在する人は、この主体について誰かを特定せずに話すことがある。ひどい場合は「私」視点でしか話さない人もいる。
逆に言うと、「視点を変える意識」を持つだけで「人を納得させる論法」を組むことができるようになるのだから。