MASAKIは北海道の北寄りの極寒の地に生まれた。
非常に無口で超短気な父 YUZURUと、無駄に明るくてよく喋る母 HIDEKOの間に生まれた。完全にハイブリッドな「よく喋る超短気なMASAKI」が誕生したのである。
一般的に、親は子供のことをよく理解していると言われる。
先日母親からLINEが来たのだが、
「さっきニュース見てさ。大田区の40代男性がすれ違った人と口論になって、激怒して相手を殴った挙句に死亡させたみたい。」
「これ、MASAKIかと思って本当に心配してさー。」
「…違うよね?」
とのコメント。
「頼むよ母さん!」
「そこんとこ、もう少しおれのこと理解してほしい。」
思わず空を見上げてしまった。
気を取り直そう。
人間は「妄想」が好きだし、それにより未来像・理想像を追ったりする生き物だ。更に人間は「無知」を補うために「妄想」を用いて思考を整理する生き物だということだ。
ダイナミック・ケイパビリティ
ダイナミック・ケイパビリティという言葉を聞いたことはあるだろうか。
世の中的には結構なバズワードのようになってるようで、以前に担当したある案件にてクライアントから
「不確実性の高い時代になり、将来をどう予測してダイナミック・ケイパビリティを活かそうとしてるかお聞かせ下さい」
といった質問されたりもした。それくらい流行ってる言葉らしい。
ちなみに、この相手先の質問には、「質問自体、焦点がずれてますよ。」とやんわり伝えた。
ダイナミック・ケイパビリティの定義は「不確実性の高い環境で、様々なリソースを組み合わせ直す能力」である。つまり「予見しえない将来」を大前提にしているのに、「将来をどう予測してますか?」という質問自体がナンセンス。
お門違いなのだ。
また、ダイナミック・ケイパビリティという概念はあっても、「どうすればダイナミック・ケイパビリティを高めらるか」についての明確な方法論はない状態。今は特定の人や組織に依存して「そういう状態」が見受けられるという感じだろう。
とはいえ、ダイナミック・ケイパビリティにはいろいろな示唆があるのは事実だ。
市場の認知の問題
よくその辺の大企業の幹部や経営管理の類の人たちは「サステイナブルな中期計画を!」と言ってたりしないだろうか。
最近、この言葉を聞くと本当に気持ちが悪くなる。そういった発言をした人の意図は異なるのかもしれないが、この投げ掛けに目をランランとさせて応えようとしてる人たちも見ていて辛い。
よく言われる「持続可能な競争優位」というのはもはや幻想、もしくは特定の安定した業界にしか適用できない事実がある。ポーターの競争戦略やバーニーのリソース・ベースト・ビューなどが全盛の時代であればいざ知らず、現在は事情が全く異なる。
ある研究によると、「持続可能な競争優位」の前提は成立せず、「一時的な競争優位」を「連鎖的に獲得する」ことでしか企業業績は維持できないらしい。
つまり、業績が落ちかけても、すぐに新しい打ち手で回復する力、つまり「変化する力」が必要となり、まさしくこれが、ダイナミック・ケイパビリティが脚光を浴びる理由となるわけだ。
やはり企業である以上、お客様をきちんと見ること、その集合体である市場をきちんと理解することは何より重要だ。
「顧客」の特性が20年前から全く変わっていないとする前提、自分たちが学んだ時代から全く変わってないとする前提を押し付けてくるマネジメントは、顧客に対しても失礼な話だと感じてしまう。
もしくは、いち顧客としても違和感がある。単純に表現すると、単純に何十年と愛し続けるブランドがある人という方が稀なのではないだろうか?個々の顧客は、好きな軸があったとしても、それが1つのブランドに対して一途であり続けることとはイコールではないという当たり前の事実。自分の素直な感覚。
これが企業視点になると「持続可能な」という言葉で、その背景には静的な動き・嗜好が固定化した顧客を前提としているような感覚が気持ち悪いということだ。
こういった前提を社員に業務上の指示として押し付けてくるわけなので、もはや拷問に近い。
「人」を理解することは本当に難しい。たとえ、親子であってもなかなか理解しきれてない。それが世の中だ。
ただ「知る姿勢」を辛く抜くことは非常に大事。それは「寄り添う行為」だからだ。
昔の杵柄だけに頼り「思考力が去勢された人たち」とは決別しよう。それは「顧客をコマと見なす行為」だからだ。
「知りたいが、完璧に知ることはできない」
「見たいが、ぎりぎり見えない」
「やりたいが、ぎりぎりやらせてくれない」
まさに、人生で最も興奮するポイントじゃないか。