コロナ前の会社での働き方について、ふと思い出す時がある。
みんな満員電車に詰め込まされて、レゴブロックのように固定された状態で何10分も電車に揺られている。そんな満員電車で特に嫌だったのが、人を押し退けて我先にと下車しようとする奴らだ。
これは本当に嫌だったけど、「多分みんなウンコ漏れそうなんだろうな」と考えたら優しい気持ちになれると呟いてた人もいたな。
この応用で、会社で理不尽な仕事の押し付けや、本当によくわからない敵意や悪意を向けられた時は、「こいつの頭にウンコ乗ってたらすごく似合うんだろうな」と想像すると優しい気持ちになれるのだろう。
「あ~、そんなウンコ時代が懐かしい」
この全面テレワーク生活が1年以上も続くと、いろんなことが良き思い出と美化されていくものだ。一方で、誰しも「新しい環境では3ヵ月は突っ走る」ものの、「半年(6か月)経つと一旦立ち位置を確認する」というプロセスに入ったりする。
そろそろ今の自分の生活の整理をするにはいい頃だろう。
仕事の側面
見つめなおすとしても、切り口がいろいろあるわけで、その辺の頭の体操から入った方がいい。
まず仕事の側面としてもいくつかある。
・世の中に対する価値提供者(外部への価値)
・満足感・有能感(自分の中での価値)
・労働力の提供者(費やす時間)
大きくはこんな感じで分かれるだろう(と仮定しよう)。
このうちの、「外向きの価値」がどの程度あるのか、については無視だ。なぜかというと測れないからだ。
本質的に大事なことだとしても、それ自体が「多くの第三者の判断に委ねられる性質」であるならば「自分の問題」として取り扱えないからだ。下手に扱おうとすると、偽善者ぽく見えたり、世間知らずの理想語り野郎になってしまうので注意が必要だ。
なので、取り扱うべきは「自分の中の満足感」と「費やす時間」の2軸に絞るべきとなる。
時間って難しい
そうは言っても「時間」の取り扱いは難しい。
何故かというと、「その費やした時間自体に価値があるのか」ということの他に、「他のことに費やしたらどれだけの満足を得てたのか?」という視点が必要になるからだ。
これは経済学やFinance論で嫌というほど出てくる「機会費用」と同じ概念なわけだ。
つまり、投資家というのは「他に投資すれば得られたであろう利益捨てて、あなたに投資している」という概念があり、この「投資」を「時間」に変えたものが上記の考え方だ。
「投資(お金)=価値がある」の構図であれば、「時間=価値がある」も当然に成り立つのは理解できるだろう。
まぁ、寧ろMASAKIは一時のお金よりも時間の方が価値高いと思っている。なので、自分の時間を無作為に奪う奴らには噛みつくことが多いのだ。
職業観の違い
欧米では「職務主義的人事制度」が一般的だ。つまり「職務」「どんな仕事をしてるか」で給料が決まる。同一職務、同一賃金の原則となり、job descriptionに関する事前の規定や相互理解が非常に重要になる。
一方日本では「能力主義的人事制度」が一般的となる。つまり「能力」が重要という文化的差異がある。この能力を測り、職能格(等級)を付けて賃金と連動させるというやり方だ。概念上は、同一能力、同一賃金ということになる。
「え??能力って、、、、」
と思う人は多いのではないだろうか。耳障りはいい「能力」という言葉。
ただ、この能力の規定し、個々人の能力を適正に測り、それを賃金と連動させることって、口で言うほど簡単ではない。
「能力」って潜在的に持ってるもので、持ってても「成果」として出なければ「宝の持ち腐れ」となる。それどころか、「能力を主張する人(評価される人)」も、「能力を測る人(評価する人)」もどちらの判断も大概怪しいというのが実態だろう。
そういうわけで、ちゃんと評価できない結果、押しなべて「年功的な運用に流れやすい」というのが日本企業の特徴だ。要は「歳を重ねて、それほど悪い動きをしてなさそうであれば昇格のチャンスがあった」というのが昭和から続くお作法。
日本では、ダメな奴も企業に温存されやすいという体制については、この人事制度の側面からも明らかなのだ。
まずは時間を大切に
テレワークによりアウトプット中心の時代になってくると、この運用自体が怪しいものになるは透けて見えるだろう。
今後、人材の評価や採用方法まで含めて多岐に渡って変わっていくのが日本の将来だ。
というか、もとの人事制度にあった不備と、今回のコロナによる働き方の強制転換が相まって、世界で最も人事制度とのギャップが浮き彫りになったのは日本なのかもしれない。
よくわからない「同一能力、同一賃金」の法則から世の中は変わっていくのだ。
「同一労働、同一賃金」というと、「労働の定義」次第で曖昧さが残る。何が曖昧かというと、全体の成果(アウトプット)に対してこの職務はどうあるべきか?という点を理解する必要などなく、単に職務として規定されてる状態についてだ。このケースは仕事による創意工夫で全体にインパクトを出そうという発想が乏しくなる気がする。
表現として一番わかりやすいのは「同一アウトプット、同一賃金」だと思う。
今後は「同一アウトプット、同一賃金」くらいの世界観になっていき、その視点に応じて雇用形態や処遇まで変わってくるだろう。
ポイントはその後だ。
これを突き詰めると「正社員を抱える」ことの必然性がどんどん薄れていくことを意味する。(他の要素があるのだが、理由は割愛)
「正社員」と「アウトプット」に相関はない時代。よって、個人次第でいろんな会社を行き来できる時代が来る。
今との延長の大きなギャップだろう。
ここで注意が必要だ。
勢い余って、このタイミングで起業したり、このタイミングでフリーランスになるのは実に勿体ない。
なぜかというと、これまでの体制の圧力(正社員を維持する圧力)と、もっとフレキシブルな人事制度(未来の必然性)が重なるということは、
どこかのタイミングで必ずこの歪が崩れる時がくるのだ。
つまり、今の正社員を切る、またはそれに近い行為を大企業がする時が来るはずなのだ。
その時には、追加の拠出が必ず伴うわけで、今どこかの会社で「正社員」をしてる人は、いつか来るそのチャンスに乗っかるチャンスがある。
「正社員」であることと同時に、副業・複業といった「個人内ダイバーシティ」を促進さえしてれば、両得のチャンスがあるということだ。
これは「会社に対して偽ってる」とか「会社への忠誠心が欠如してる」といった精神論の話をしてるのではない。
黙っていても企業の論理に流されやすい一般社員は、これくらいの将来像を勝手に想像しておくことで、
「前向きな気休め」を自分の中で醸成していくことが必要だということだ。
会社に使われる人のマインドではなく、寧ろ会社を使ってやろうという気概を持つことで、やっと会社と対等の雇用関係になると思っている。
「会社の頭にウンコ」するくらいの気持ちでいい。すでに君の頭にはウンコが乗ってるかもしれないのだから。