HIDEKOの冷笑

「そろそろ社会貢献活動でもしようかな」

こんなことをさりげなく電話越しの母親に話したMASAKIだが、電話の向こうから冷笑されてしまった。

「あなたから最も遠いところの話だね。」

「面白くないギャグだね。」

「仕事に疲れてるの?」

「連休中にたっぷり寝なさい。」

母HIDEKOはこんな調子だ。全くもって聞く耳を持たない。

「たっぷり寝なさい。」辺りは、優しく優しく声のトーンを落とした感じで、完全に3歳児に向き合ってるかのような演出までされてしまった。

「MASAKI」「社会貢献」

あらためて言葉を並べてみると確かに違和感があるのは否定できない。

クソみたいな仕事

「ブルシットジョブ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。米国の人類学者、デヴィッド・グレーバーが提唱した「全く面白くもなく、本人も無意味だと感じている仕事」という定義のようだ。

本来仕事は、取り組む人が楽しく充実するべきもので、その意味では限りなく「ゲーム」に近い行為のはずだが、心底どうでもいい仕事や心底嫌になる内部闘争が増えるにつれ、「別に仕事なんてどーでもいいわ」という感じる人もいるだろう。

過去を振り返っても、はるか昔から大多数の人は 「ブルシットジョブ」 寄りの人が多かった印象だが、昨今のテレワーク導入によって自分の時間・空間が以前よりも確保され、同時に社内の人とは一定の距離感が取れることによって、一層「しょーもない仕事や社内政治は心底どーでもいいわ」という感情が加速してるのでは?と推察している。

ゲームに見る人間関係の在り方

ゲームに関して全くの素人であるMASAKIだが、フォートナイトというゲームはやはりすごいそうだ。ある人によると、このゲームは震えるほど面白いらしい。

美しい世界観やある意味リアリティのある建築や乗り物、それに武器。ロールプレイングぽい雰囲気の中でのシューティングアクション。サバイバルゲームにある、敵をハンティングする楽しさと、逆に狙われた時の恐怖感。

単にゲーム的要素を超えて、コミュニティの在り方として「共にする仲間」の存在も面白さのポイントだ。会社でよく知ってる同士にもかかわらず不毛なプレッシャー掛け合うよりは、たとえゲームの世界だったとしてもお互いを思いやり助け合える仲間の方が単純に気持ちいい関係を築ける。

いや、むしろゲーム中でしか繋がりがないからこそ、よけいなことに気を遣わずに他人に対して優しくなれるのかもしれない。世界平和は フォートナイトの延長線上にあるのかもしれない。

ネットワーク理論には「希薄なネットワーク」と「高密度のネットワーク」が出てきて、SNSではこの両者が混在していると言われている。 「高密度のネットワーク」 では相互依存と信用がポイントとなるが、この言葉だけですでに重い。

ひょっとしたら、 フォートナイト の他人との距離感の方が、下手なSNSよりも人間を心地よくさせる要素が多い気がする。

MASAKIの思う社会貢献

よく飲みに行く「釣り師」の友人がいる。サラリーマンだが無類の釣り好きで夜中の2時に家を出て海釣りを楽しみ、夕方に戻ってきては魚を捌いてご馳走してくれる。そんな友人だ。

この友人が昨年あたりからカブトムシを育てることに夢中になりだした。一部屋をカブトムシの生育に使用するほどで、ほぼブリーダー。年に数回、各地で実施されるカブトムシ相撲に飛び回って優勝・準優勝など好成績を収めている。

そんな彼が、

「最近さぁ、カブトムシ相撲の運営側に回ることになってさ」

と飲みながら話してきた。

どうやら、彼の情熱と実績から、運営側からのお誘いがあったようだ。多少のバイト代は出るのかもしれないが、文字通りバイト代くらいのもので、旅費やら何やらで一瞬で消し飛んでしまうくらいのものだろう。それでも釣り師は熱く語る。それに、カブトムシ相撲を通じて同年代で気心知れた仲間もできたようだ。

「いやぁ、この歳でさ。気心知れて無邪気に楽しく話せる人ができると思ってなかったな。」

この一言に「わかる!」と思ってしまった。

会社の中でも、「初めは強制的に組織化された枠に配置」されつつも、仕事を通じて「気心の知れた仲間」や「連帯感」を持つ相手というのはできる。ただ、会社の外を見たときに、おっさんになっても「無邪気な人脈」を作れるというのは大事なことだと思う。

決してSNSの友達の数やフォロワー数を競うような、浅はかで薄い繋がりではない。「ある特定の場」では、大の大人が無邪気にわーわー言いあえる新しい仲間との繋がりだ。「無邪気にわーわー楽しめる場」というのが、カブトムシ相撲でも何でもよい。

結果として、子供や大人まで楽しめる場の提供に一役買ったのならば、MASAKI的には「社会貢献」してると同義だ。

もちろん、海外に多いような特定の基金に寄付する形での社会貢献・慈善活動も大事なのだろうが、手掴みでグリップ感いっぱいで活動自体に関わりながら行う社会貢献の方がMASAKIには向いている。なぜなら関与概念がありそれ自体が楽しいからだ。

MASAKIが寄付をするときは、おそらく何か過去の行動に対して、思いっきり謝罪したいという贖罪の表れなのだと思う。ちなみに、謝罪したいことは山ほどある。

やってみたい社会貢献

要は、「やりたいこと、そのままでOK」という観点が大事。

これに収入が絡んでくると厄介になる。なぜなら、収入を介してねっとりとした負の人間関係に縛られる側面が必ず出てくるからだ。できれば、現業も含めて基本的な収入減は2~3つ持っておくくらいの方が、負の人間関係に心を引きずられることがないという点で重要だろう。

一方で、「社会貢献」=「ゼロ報酬」の考えは不要だとも思っている。

ゼロ報酬の慈善活動とするよりも、むしろ「少額でも相手からお金を頂くことで自然とやる気が出る」=「アウトプットの質が上がる」という観点が大事ではないだろうか。「潜在的に第3、第4の収入減となる可能性を模索する」という楽観的な野心を持ち合わせた方が、成果(アウトプット)を受け取る相手にとっても嬉しいことのはずだ。相手も満足させ、自分も更なる収入源を手に入れられるのであれば、更にメンタル的に前向きになれる。

手段などはあまり深く考えずに、とりあえず自分の特技を使って1コイン(500円/回)で受講できる塾やレッスンをしてみるというのも面白い。形式としては、このご時世であえてリアルに拘るところから始めてみてもいい。

自分が当初良いと思った講義内容が、リアルで実施してみると意外と受けが良くなかったということはありえる。むしろ初めのプラン通りにうまくいくことの方が稀だろう。お笑い芸人が舞台に出てお客様の反応を肌で理解するのと同じように、リアルを通じて深いニーズを感じ取るプロセスを入れた方が、いずれスケールを狙うときにも重要な示唆が得られるはずだ。

繰り返すが、これはビジネスではない。完全に遊びの延長で始める「何か」なので、小さく始めていけばいいという話だ。

1コインの受講に生徒が10人参加して年間50週で換算すると年収は25万円。これで飯を食える人はまずいない。ただ、「社会貢献活動」であれば機能するし、ちょっとしたお小遣いが増えた感覚も満たされる。実においしいではないか!

HIDEKO、ありがとう。

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