ジロジロ見て!いろんな角度から見て!

「元気だから動けるのではない、動くから元気なんだ」

「頭がいいからいいアウトプットができるのではない、アウトプットするから頭がよくなるのだ。」

「もてるから女性とお酒を飲めるのではない、女性と飲んでたらただもててただけだ。」

「多目的トイレに行ったから女性とエッチをしたのではない、エッチをしたいから多目的トイレに行ったのだ。」

「MASAKIが恋多き人間なのではない、恋がMASAKIに近づいてくるんだ。」

など、人間は「原因 → 結果」を意識して物事を見てるようで、実は理解が間違ってるということが多々ある。

コーザリティ分析

表面化した事象(結果)と原因を因果で結び、根本原因を整理するというロジカルシンキングの手法。

この因果の複数の要素が円を描くループになると非常に強力だと言われている。

正のサイクルと負のサイクルに分かれ、負のサイクルの例として

売上が減る → 利益が減る → 給料が減る → 従業員のモチベーションが上がらない → 顧客対応が悪くなる → また売上が減る

といった簡単な例を描けばわかりやすいだろう。

ただ、これに対する処方箋はなかなか難しい。

なぜなら、「表面化した事象(結果)と原因を整理」とあるが、いったいどれが「表面化した事象(結果)」で、

どれが「原因」なのかの判断は往々にして難しいからだ。

言葉で言うほど、「真因の特定」は簡単ではないということだ。

モデレーティング効果

「A(原因)→ B(結果)」という関係性と思っていたものが、実は「C」という要素が「AとB両方」に影響を与えていたという事象。

「(A)M&Aをした」 → 「(B)業績がよくなった」という関係性を強く信じていたとする。

ここに「(C)経営管理のMASAKIが異常に優秀だった」という要素があったとすると、

この(C)は(A)にもプラスの効果、(B)にもプラスの効果をもたらしたことが証明されるかもしれない。

こういった「見落とし効果」は至るところにある。

いわゆる「ヒューリスティック」と呼ばれる経験則に基づいた行動だけをしている人は、こういった誤りを犯しやすい。

または、洗い出した要素自体が本当に表面的過ぎて、それだけ見てても意味合いが出ない場合だ。このパターンも結構多い。

なまじ「表面化した事象」だからこそ、後生大事にその要素ばかり見ている。

本来、人間はそれほど因果に強くない一方で、因果で説明できないと不安でたまらない生き物だ。

なので、余計にこの罠にはまっていくことになる。

「多面性」を捉えることで、ものごとの本質が見えてくる

例えば「在庫」だ。

「在庫は悪だー!」

「キャッシュフローを悪化させる悪の巣窟だー!」

「在庫が重いなんて、オペレーションの悪さを表してるだけだー!」

などと長年のサラリーマン生活からヒューリスティックに学び取った経験に固執してる人は、在庫の本来の機能を無視する。

在庫はいわゆる「組織スラック」の一種だ。スラックとは「余裕」の意で、企業組織として至る所に保有する「遊び」「許容の程度」を示唆する。

在庫は本来「時間的・空間的ギャップ」が存在する「物流」領域に対して、そのギャップにより生じる差異を埋めるための機能がある。よって、全知全能の需要予測ができない限り、一定レベルの在庫は必要になる。

もし、生産トラブルが起きても、それが直接的に顧客にご迷惑を掛けないようにするためや、もし、当初の需要予測を上回る販売実績が見えても、多少の期間は機会損失を避けるためのものだ。

「不確実性の時代」「VUCAの時代」と言われる昨今は特にそうだ。20年前のオペレーション意識を引きずった発想で現場に指示するマネジメントは知らず知らずのうちに企業に害悪を与えることになる。

このように本来の機能に立ち返ると、問い自体が変わってくる。

「その企業のオペレーション力を踏まえた場合、顧客に影響を与えない適正な在庫レベルは?」

といった問いに変えた方が、前向きな検討を呼び起こす可能性があるだろう。

単に「在庫は減ればいい」というのは「コストはゼロになればいい」と言ってるのと同じくらいアホであり無意味なことだ。なぜなら、世の中の全ての事象はトレードオフだということを認識しない発言であるし、多くの事象が絡むある相互依存の関係性で捉えた場合に、ほかの大事なことを削ってしまってることに無思考であるからだ。

「あるレベルまで何かを変えると、違う領域で影響は出るはずだ」

というシンプルな構造を真剣に捉えない姿勢は、企業にとって非常に害悪だ。害悪しかもたらさないと言ってもいい。

寧ろ性質が悪いのは、「在庫は極限にまで絞って、顧客への影響はゼロを目指せ」という指示を平然とするマネジメントもいたりする。

終わってるね。

「その視点で、これまでと全く違うやり方・オペレーションを検討してみよう」の類ではない。割と本気で今のやり方の延長で、というか何かを変える意識すらないまま、その目標を達成せよと命じてくるタイプ。こういうタイプは話してて一発でわかる。普段の会話からは新鮮な驚きも高い視座も感じないタイプであったりするので、要するに深みのないマネジメントであることが透けて見えたりする。

数は少ないが、現状のやり方とは違う視座・視点での投げかけをするタイプは、その当人自体が思考に思考を重ねており、その片鱗は普段の会話からも醸し出されるのだ。結果手として、そういうタイプには畏怖や尊厳のオーラが見えてくる。

では、悪い例のマネジメントにならないようにするためにはどうしたらよいのか?

手っ取り早いやり方としては、物事を「多面的に見る」に限る。上から下から、横から斜めから、その事象をジロジロ見つめるのだ。そこで感じた直感や印象は大事にしよう。それが解決策の糸口になる可能性が十分にある。もちろん、ある1つの側面からの印象なだけなので、ただの思い付きの1つで終わってしまうアイデアかもしれない。

いろんな角度から見て多様な印象を持ち得た時、アイデアがもう一段昇華されるかは、それらを「抽象化」してみるといい。

「つまりこれは、〇〇ということだ」

と言い切れる抽象度の高いワーディングを行うと、1つの事象に振り回されることはまずなくなる。多様な印象値に基づいて意味合いを出してるわけだから当然だ。

更に「抽象化・一般化」して自分なりの概念とすることで、「それまでは常識」と思ってたことにも疑問を持てるようになる。結果として、違う事象が起こった場合の応用範囲も格段に広がるのだ。

「電車で気になる女性がいた場合もジロジロ見ればいい。」

但し、一方向からではダメだ。たまたま横顔が好みだっただけかもしれないのだから。わざと位置をずらして、いろんな角度できちんと見つめることを推奨する。そうすると本当に自分の気になる女性なのかが、はっきりと理解できるだろう。多面性は重要。

「風邪をひいて体調が悪い時には、寧ろジョギングしたりダンベルを上げてる方がいいのかもしれない」

という発想が実は正しいのかもしれない、と思えてくるだろう。そう思えたら実際にトライしてみよう。「やっぱり体調が悪い」となるか、「お!動き出したら疲れも飛んだかな」と思えるかは実際にやってみないとわからないのだから。

一点問題なのは、「常識を疑う」という言い方はやや疲れる印象があるという点だ。

周りに「本気でなんでもかんでも疑う人間」がいたら、ほんとに性格が悪いか、かなりやばい奴だろう。

なので、あくまで自分の中でちょっと興味を持った領域だったり、ちょっとアンテナに引っかかったり、ちょっと腑に落ちないと思ったことだけに絞る方が認知負担が少なくて済むだろう。自分の興味の対象に「いろんな角度でジロジロ視線を送るだけで、結果として前向きに常識を疑える人間になってる」と気楽に考えておけばいいと思う。

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