世の中は不思議な事象に満ち溢れている。
今の若者は全くわからないだろうが、ガチ昭和生まれ・ガチ昭和育ちの連中ならわかってくれるだろう。
「なぜ、エロ本は雨上がりに道端に落ちてるのだろうか」
これは昭和の未解明の謎の1つである。「3億円強盗事件の犯人は誰だ?」と同レベルだと言い切りたい。
小学生も高学年になってくると雨上がりの朝をワクワクするようになる。スマホもインターネットもない時代だ。
「拾い食いのようにエロ本をかっさらってもいい!」
「おれたちはコンテンツに飢えている!」
「未知なるものを知りたい!」
コンテンツに飢えているという感覚がわからない今の若者には、こういった「飢餓感」を学ぶ時期がないのはもったいないものだ。
腹の底から湧いてくるリビドーに苦しむ感覚、この辺の感覚を持ち得ぬまま「なんとなく満たされてる」状態で大人になる怖さ。
「飢え」の本質
「飢え」は「モチベーションそのもの」になる。
何かを強烈に求める、むさぼるように欲する、食事・睡眠を忘れて打ち込む。一見極端に感じるかもしれないが、本当に求める「理想のモチベーション」というのは端的に「飢え」ということだろう。決して、きれいな言い回しで「気分が乗らないな♪」といった乙女チックな扱いにしてはならない。
「モチベーションがある・ない」といった言い方ではなく「おれは飢えている!」という言い方にすべきではないか。
一方で「自分の本質的な欲求に素直に向き合う時間」をちゃんと持ってる人はどれだけいるのだろうか。そんな統計は取ったことはないが、95%くらいの人は時間が取れないばかりでなく、必要性すらしていないと思う。
モチベーション先行論の危惧
とはいえ、何でもかんでも「飢え」に等しいモチベーションを持ち続けれる人はいないだろう。その日の気分によって、「モチベーションが沸かないなぁ」といった状態は誰にでもある。
が、ここで問題提起したいのは「モチベーションが先」という発想そのものだ。
「モチベーションが先にないから仕事に取り掛かれない」といったモチベーション先行論は早々に捨てるべきということ。モチベーションというものにある種の幻想を抱いて、更には「モチベーションさん」くらいに擬人化して、
「あなたがそばにいれくれないから…、わたし…、がんばれないのかも。。」といった雰囲気を醸し出すのは気持ちが悪い。
脳科学の根拠で言うと、「行動そのものがモチベーションを上げる」らしい。つまり「行動が先」で「モチベーションは後から付いてくる」という性質があるようだ。「行動」すると脳に一定の刺激が行き、その刺激により脳内にドーパミン・セレトニンを放出させモチベーションのある状態にさせる。
この脳内物質が出るまでの所要時間は約5分程度ということだ。
気分が乗らない時こそ、「ごく簡単な作業を5分だけ始める」ことだ。そうすれば自然とやる気スイッチが押されるという仕組みだ。
つまり言いたいことは、
- 黙ってても飢餓状態のとき → 勝手に体が動くだろう(自分の欲求に忠実に)
- 気分が乗らないとき → まず5分だけ行動してみる → 脳が勝手に「やる気がある」と勘違いしてくれる
このうち、①は本能のままに突き進めばいよいのだから、問題は②での「最初の一歩」だけだ。