「先生」という言葉は危険だ。使い方によって、とてつもない破壊力がある。
ちょっと優しく「せんせい♪」などと言われると、一般の男性はイチコロだ。財布の紐も瞬時に緩んしまう。とても危険だ。
この魔力的な力を持つこの言葉、不思議な幻惑を見せるこの言葉。私のように鉄の意志を持ちえない一般男性は本当に注意してもらいたい。「せんせい♪」の魔力に。
また、「先生」という言葉は、時として尊厳・威厳を込めて使われる。思えば、私は小さいころから漠然と「先生」に憧れた節がある。
どんな先生に憧れたのか?
医者、弁護士、会計士、教授、などなど。
なんでもよかった。とにかく「先生」と呼ばれる職業に就きたかった。おそらく、誰かに偉そうにしてるシーンを想像してたのだろう。心の中で勝手なカースト制度を引いてるような性質の悪い子供だったのかもしれない。
よく私の友達は言う。
「キャバクラに行けば、いつでも先生と呼んでくれるじゃん。」
そうじゃない!
違う快感は得られるかもしれないが、お金を払って「先生」と呼ばれることじゃない!
そんなちっぽけなプライドを持ちながら40代に突入してしまった。ただ気持ちは28歳で完全に止まったままだ。やりたいことが年々増えてきた。どんどん増えて、増えすぎて正直時間が全く足りない。
そこで働き方を変えてみた。
「拘束されるのは就業時間までにしつつ、アウトプットは人の3倍出そう!」
就業時間は鉄の意志でコントロールできる。帰ればいい。気まずい雰囲気を感じるかもしれないが堂々と帰ればいい。解釈するのは自分じゃなく周りの人なので、ほんとのところどう判断してるかなんて、自分が気にしても全く意味がない。
ポイントは常人の3倍のアウトプット
これは概念的だけど「3割増しを狙う」と言ってるうちは、せいぜい1割増しくらいにしかなってない。2倍、3倍と言ってると、「根本的にやり方を変える」必要が出てくる。人と同じ働き方をしてて3倍というのは3倍速く手足を動かすことではないのだから。
ちなみにこれは若いうちは、この路線で頑張ってた。物理的に人より1.5倍くらいまでは早くできてもそこが限界。結果的に2倍長い時間働いてた。
今私が言える「根本的にやり方を変える」方法と言うのは、絶対的な量と言うよりもインプットとアウトプットのバランス、つまり割り算で考えるようにしてる。いわゆる生産性の考え方だね。(アウトプット÷インプット)
このごく単純なフォーミュラからも大いに含意がある。
- 同じインプット(業務量)なら、アウトプットを増やすことを志向する
- 同じアウトプットなら、インプット(業務量)を減らすことを志向する
経済学などでよく出てくるモデル化されたパターンね。
一見気持ちいいのは①。かっこいいことを目指す人はついつい「アウトプットを上げること目指すぜ!!」と鼻息を荒くしてしまう。
ただ、ほんとの順番は②→①だ。絶対にこれだ。
初期の効果として、「現在の業務を徹底的に見直して、徹底的に圧縮する・捨てる・結合する・再定義する」をやった方が確実だ。且つ、「確実な効果を狙ってインプットを減らす」=「自分の時間ができる」という状態になって、初めてアウトプットを増やせる準備ができるということ。
「同時に両方狙う!」という場合も結論は同じ。
業務を減らせば同時に自分の時間を増えるわけなので、確実に業務を減らした瞬間に新しいことを増やすのであればOKだ。インプットの削減とアウトプットの増大を、それぞれ違う領域で狙うことになる。
ちなみに全く違う話だが、私はよく独り飲みをしながら趣味や仕事について、自分の将来を妄想してる。はっきり言ってとても暗い人間に映るだろう。
このくらい独り飲みをしながら、「将来やりたい仕事」を妄想してる瞬間が気持ちよい。酔いのせいもあるだろうが、全部同時にやれるんじゃないのか?と思ってきるものだ。ある日そう思って独りでニヤニヤしてた。暗いだけではなく、とても気持ち悪い客だったと思う。
「お金は大事!!」と大抵の人は理解するが、「時間はお金以上に大事!!」という事実は再認識すべきだと思うこの頃。