近所のスーパーに最近入ったレジのおじさん、すごく笑顔でスピーディーで丁寧なんだけど「レモンを2点”いかせて”いただきます」「玉子1パック”いかせて”いただきます」ってレジ通すたびに何故か”いかせてくる”の謎すぎて最高なんだよな
「どうやって、いかせてくれるのだろう?」と妄想が止まらなくなってくるから不思議だ。
「教科書読め」 「はい…最近家の姉が色づいてきました」 「!? …その字は姉じゃない柿だ」
こんな単なる読み間違いでも、ちょっと意識さえ変えれば、MASAKIも姉のことを色っぽく見ることができる日が来るのかもしれない。
「認知」の強制転換
以前に書いた「認知」の続編だ。やや書き足りないことがあったのでしつこく取り上げてみた。
ただでさえしつこい性格なMASAKIだが、こんな自分のしつこさを認知している自分は、本当に「しつこい人間」なのだと再認知してしまう。
そんこと、まったく気にしないけどな!
本題に戻そう。たとえば、自分の中では一生懸命に考えてるようで、実はいつも同じところをグルグル回ってるといった感覚をもつときはないだろうか?
こういうときは、さっさと認知の強制転換をした方がいいと思う。これは「自分ではない誰か」の視点・立場に立って物事を見つめなおすということだ。
こう書くと、人よっては「そんなことわかってますが、、、」と言う人も多いかもしれない。ただ、中途半端に「相手の立場で考える」ではなく、「本気で完全にその人になりきる」という姿勢で妄想してる人は限られてるはずだ。
完全にその人になりきった思考にトライすることで、これまで見えなかったものが見えてくる可能性がある。
一例をあげよう。
「テーマ1:起業はリスクなのか」 vs.「テーマ2:サラリーマンは安全なのか」を考えてみたい。
10年くらい前は起業できる人のリスクテイクしつつ躍動的に活躍してる雰囲気にかっこいいと感じることもあるだろう。
一方で、直近では70歳雇用が法制化されるのを見据えた企業が、サラリーマン化しきった40歳以降の社員の首をどんどん切っていくというニュースを見たこともあるだろう。
この2つのテーマについて、いったいどれくらいの数のPros/Consを挙げることができただろうか。
「認知の強制転換」のレベルの程度によって、2~3個しか挙げられてない人もいれば、20~30個も挙げられる人もいるかもしれない。ただこれからの時代は、こういった問いに対して、20~30個くらい挙げられる人が有利な世界になる気がしている。
1つのテーマでProsを20個出せる人間がいれば、2つのテーマに関わるなら40のアイデアを出すわけだ。
1つのテーマで2個しか思いつかない人とは20倍差があり、2つのテーマでは4個しか思いつかない人とは10倍も差が出るわけだ。
ただし、「思考するぞ!」と意気込んでも実際はなかなか大変。
「Aさんの立場ではどうだろう?」「B社の視点ではどうだろう?」「C国の立場ではどうだろう?」と、先に視点を定めると思考しやすい。取っ掛かりとして「具体的」だからだ。「具体と抽象の行き来が大事」とよく言われるが、間違いなく「具体」からスタートする方がいいだろう。脳が楽だから。
ある意味、ちょっとした意識の持ち方で「自動的に知見が溜まってくる状態」というのが「認知の強制転換」の有効な点であり、学習効果そのものな気がする。
繰り返しだが、「視点を変えること」「それが具体的であること」の2つが担保されれば、自動的に夢想されるのじゃないだろうか。「自動的」なのだから、こんなお手軽な勉強方法はない。
同じ職種を経験してる二人がいたとして、20年後の仕上がりが全く違うというのはよくあることだが、この1つの要因としては、こういった認知の捉え方が影響してるのではないだろうか?
どうせなら、「いかせてくる奴」と思われるような「一癖ある人間」になろうぜ!