甘噛み、好きだったよね

「人は現実に絶望すると、少年ジャンプと自己啓発本の成分が欲しくなる。」

MASAKIはこれを信じて疑わない。

昨日は月曜日。ジャンプの発売日なので、朝起きてからテンション爆上がりだが、火曜日は上げてくれるものが何もない。

ちなみに、MASAKIは特段絶望してるわけではない。

ただ働き始めたばかりの若者は当然何もできない状態な割に、承認欲求だけは人一倍強かったりする。

「認められたい!けど現実的には圧倒的な、、、、無能…。」

このループが頭を駆け巡って打ちひしがれる時は誰しもあるだろうし、ある意味で「なりたい自分と、自分への不足感」を意識すること健全だ。

まぁ、この辺も完全に偏見だったりするかもしれない。

親友のデブに「デブには自制心がないね。」と言ったら「そもそも自制するつもりないから。」と一瞬で論破されたことがある。

己の潜在的な偏見を思い知らされたわけだ。つまり「他人評価には限界がある」という事実認識だ。

企業における評価のやり方は大別して2つ

組織として多くの人が働く以上、多くの会社では上司・部下という関係性があり、ほぼ確実に上司が部下を評価するというプロセスが取られることになる。

評価方法は多種多様だろうが、個人の能力・業績の側面については大きくは2つに大別されると思う。

1つは「そつなく、全てをこなすことが評価されるパターン」。つまり欠点がないことが評価される企業。

もう1つは「得意なことだけ評価されるパターン」。つまり、欠点には目をつぶる企業。

どちらの制度が優れているのか。もちろん目的によるわけで一概には言えない。ただ、「問題を起こさないことが重要な企業」では前者、「とにかく成果をあげることが重要な企業」では後者が多い気がする。

「欠点がないこと」が優先される企業では、「能力には最低ラインがあり、それは自助努力で克服せよ。」となるだろう。

「得意なことだけが評価される」組織では、そういう「欠点」は、全て放置されるか無視されるだろう。

こうやって、どちらかのアプローチによって「凡人」をなんとかして戦力化しようとするわけだが、

「欠点はどうせ治らない」

「個人としては限界がある人たちが、組織という形態をとることで、強み・弱みを相互補完するのが協業という行為」

といった当たり前の前提から、MASAKIは「欠点には目をつぶる企業」の方が好みだ。

「一つのことは圧倒的にできる。ほかは全然ダメ」という人をうまく組み合わせたほうが、圧倒的に優れた仕事ができると考えているし、過去の経験からもそういう人材は非常に貴重だった。

おそらく評価軸がどうあるべきかということより以前に、そもそも評価される側の人たちに多様性が少ないことが問題な気もする。「高学歴者」「男性」「中年」が大半を占める組織が硬直的になりがちなのは、結局のところ「強み」が画一的になりがちだからだ。思考回路や過去のキャリアが酷似して、結果的に「昭和的なサラリーマン」が金太郎飴のように出てくることを想像すればわかりやすい。

「金太郎飴のおっさん達」をいくら掛け合わせたところで、「強み・弱みの相互補完」は体感しにくい。同じ顔では補完もなにもないだろう。

自己評価はどうやるべきか?

自分の欠点に目をつむることができない人は多い。

「そんなに恥ずかしいところ、見ないで~」

という人間の本源的な感性に訴えるものだからだろう。自分が弱点と思ってることは、やはり隠したくなるし、強烈に避けたくなる。「強烈に避けたい」という想いが、「強烈に弱点に固執させている」という負のスパイラルに入ってしまう。

案外こういう人は多いと思う。

「強みを活かせ!」

などよく啓発本では書かれてるだろうが、MASAKとしては「強みを活かせる場所を複数持て」と言う方が実践的な気がする。

1つの同じ場所でいろんなタイプの業務をする立場にいると、必ず自分の欠点が目に付くことがある。

であれば、1つの居場所に1日3時間だけ仕事する、そういう居場所を3つ持つ、その3時間は必殺技だけを繰り出し続ける、というやり方もありじゃね?と思うのだ。

兼務しまくる、複業しまくる、なんでもあり。

個々の仕事に避けられる時間は限られてるしまうわけだから、確実に結果が出せる得意なことに集中することになる。逆に、得意分野に集中できずに結果が出せなかった場合は、その組織の人から「使えないな」と思われて居場所がなくなる。つまりその職場は長続きしなくなる。

だが、それでいいのだ。「複数の居場所がある状態」「更なる居場所を常に求める状態」を定常的にしてしまうと、1つの職場から退出を迫られてもなんとも思わないだろう。

「あぁ、この場所とは合わなかったんだな」

これでおしまいだ。恋愛と一緒で、合う・合わないの結論が出たら、淡々とその結果に従うだけということだ。

それに一昔前と確実に違のは、「全てのことはほぼ同時並行的やれる」かなり恵まれた時代に突入しているということ。

拘りの強い職人のように「拙者、これしかできないんで」という不器用だが1つの得意技を持つ人がいたとする。昔はこれが「1つの居場所」でしか表現することを許されなかった。

だが今は違う。

「同じ得意技をあちこちで披露できるのでは?」

「あちこちで、自分を試せそうなことを甘噛みしてもいいんじゃね?」

甘噛み、ほんとはみんな好きでしょ?

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