「何か楽器は弾きますか?」
「楽器を弾くとしたら、女性を鳴かせるだけかな?」
by 高田純次
高田先生、昔から心より尊敬してました。先生ほど、昭和の時代の古きよきギャグをたんまりと放出してくれる素晴らしい芸能人は知りません。
24時間戦えますか。
昭和の名物ということでふと思い出したのが、「24時間戦えますか。」でお馴染みのリゲインのCMだ。
思いっきりバブルのど真ん中、日本がまだまだ絶好調だった頃に放送されたCMであり、俳優の時任三郎がビジネスマンに扮(ふん)した、リゲインのCMのキャッチフレーズ。昭和から平成に移り変わった1989年には、この「24時間戦えますか」が新語・流行語大賞にランクインしたのだ。

昭和、平成、令和と時代が進んだわけで当時の価値観と多少のずれが起きるモノ・コトなどは枚挙に暇がない。ただ、このCMは別格だ。当時は何も思わなかったのだが、今この時代から振り返ってみると「かなりぶっ飛んでますね♪」の一言に尽きる。
まぁ、MASAKI自身は幼少期だったので、正確な大人の事情や雰囲気まではわからないのだが、このCMが強調する「24時間戦える男はかっこいい」という価値観。バブルという時代も相まって、ふだんの仕事ぶりも、オラオラ系というか天下人系というか、なんとも豪胆、且つ大らかな印象の人が多かった気がする。その割にプライドは高く、とかく金銭評価でのプライドを強く意識し、万札を手に「ヘイ!タクシー!」と言っちゃう感じの人たち。
実際はどうだかわからないし、かなり個人的な印象論ではあるが、実際に万札をブンブン振ってタクシーを呼ぶサラリーマンの姿が描写されている「バブルへGO!!」といった映画まで出ちゃうくらいなので、大方の捉え方は合っている気がする。
個性を求める金太郎飴
時代背景も重なってオラオラ系に勤しむ時代だったことは理解できるし、それ自体は正直どうでもいいのだが、ひとつ気になることがある。
「なぜ、この時代のサラリーマンは同じ見た目なのだろうか」
「なぜ、全員ほぼ同じスーツ、同じ髪型とかでオラオラしちゃってたのだろうか」
「なぜ、栄養ドリンク片手に24時間戦っちゃう?とか言っちゃうのだろうか」
つまり、「こいつら、まじで完璧なまでのオラオラ系な金太郎飴だぜ、、、」といった、一見個性を重んじる主体を演じてるものの、実態は見た目も思考回路もかなり似通っていそうな不思議な感覚。
オラオラ系というのは、結局「自分はすごい感」の演出の延長なわけで、そんな自分の凄さを「個性」として表現したい人たち。その「個性」を追求するオラオラ系バブラーが、「非常に画一的なリーマン集団」に映るところが何とも味わい深いではないか。
垂直思考より水平思考
そう考えてみると、イキってよくわからない個性を掴もうとする活動自体が空しい行為に見えてくる。空しいを通り越して、結構恥ずかしい領域まで行っちゃってる気すらする。
サラリーマンとして非常にわかりやすい出世街道という「ただ1本の決められた道」を盲目的に目指したり意識するのではなく、もっと肩の力を抜いて、自分の興味や心の声に素直になった方が「その人らしさ」つまり「個性」が磨かれる気はしないだろうか。
歴史に学べとはよくいったものである。
そろそろ当時のイキったバブラーが定年退職していく頃になるが、会社といった自分の外から与えられるもので自己顕示欲を満たしてきた人たち、もしくはそこから外れてしまったために心を痛めた人たち、そういう人たちを見て一喜一憂していた人たちにとって、退職後にきれいに裸にされてしまった後に残るものは何?という本源的な問いに耐えられるのだろうか。
ただ、残されたリーマン時間で矯正を図っていくためのわかりやすい処方箋はいくつか考えられるだろう。その1つは「水平思考」だ。
「縦に縦に」と伸びるわかりやすいヒエラルキー構造が悪さをしていたなら、その思考自体を「水平思考」に変化した方がいいというものだ。上も下もない。みんなそろって横の関係。誰が偉いわけでも、誰がクズなわけでもない。生まれてきた赤ちゃんや高齢になった親に大して「役立たず」と思う人はほぼいないだろう。
「居てくれるだけでありがとう。」
そんな気持ちが水平思考だと思っている。
個性を目指す没個性にな金太郎よりも、自然体が個性を磨くことを意識しよう。