アーモンドミルクはなんでこんなに素敵なんだろう。ほんとに素敵すぎて毎日愛でたくなってしまう。
あのよくわからない風味、アーモンドパワーが凝縮してそうな感じ。無条件で受け入れてしまう何とも言えない感じ。
「セレブリティもお気に入り」という言葉にまんまとはまりながら「アーモンドミルクって美味しいよね!」と言ってる自分がいる。
気に入った理由なんて要らない!皆さんもそう思いませんか。
一方で、経営管理とかいう仕事をしてると、理由の明確化が大事とか、ロジカルな説明をすることが日常。ロジカルを求めることが日常だったりしますね。「直観的に良い・悪い」といった手応えがあるにもかかわらず、それがロジカルな説明根拠を持ち得なければ発言することも憚れる感じ。
「なんとなく悪化しそうな気がするんだよね~。」
確かにこの手の発言だけで仕事は進めにくいし、進めてはならないことは多い。一方で、自分の感性というレセプターで受けた「直観」に対して言語化できてないだけであり、それなりに重視したいポイントでもある。この「非言語化状態のIssue」の取り扱いは本当に難しい。(言語化できてないのだから信憑性が伝わらない)
悲しきロジカル
ゴルフの打ちっ放しに行くと、たいてい隣のレンジのおやじ達がガヤガヤうるさい。
「肘を閉めろ」「背中で打て」「コックをほどくな」など、うんちくの嵐。プロも真っ青の教え上手を誇示する顔つき。
そんなおやじ達がいざ打ち出すと、だいたい3人中2人はダサいショットを放ってたりする。その後「このクラブも古いからなぁ。」と道具を見つめる切なさ。
本当にうまい人はあまり口数が多くない気がするなぁ。(知らんけど)
ロジカルな問題は2つありそう
- 「ロジカルである=主体的な発想や思考がなくても成立する」ということ。
- 「ロジカルである=説明できる」ことって、突き詰めると結論は同じにならないか?思考の均質化。他者との差別化の消失。
このうち、①は昔からよく感じてたけど、野球で「この角度でバットを振れば当たる!」とか言う人に限って、バット自体を振らない。刀を磨くけど抜けない侍みたなもんかな。「おれは抜いたら強いんだぞ!」という侍は全く怖くない。
つまり、ロジカルな指摘ができる人は多くいるが、かといって「その人が主体的にアイデアを創出したりできるわけではない」という事実認識は重要だ。一見そういうタイプの人には「この人は何かすごいことを考えられそう!」と期待してしまうが、それができる人というのはロジカルとは別の属性が必要になるということだ。
経営管理業務に例えると、「人が出したアイデアにとやかく言うだけの人」は、だいたい自分では何も発想できないタイプが多かったという過去の経験。
逆に、「いっぱいバットを振るうちに、当たり所を身体で覚えちゃうタイプ」というのもいるわけで、こっちの方が学びの真実だったりするわけだし、ビジネスの世界ではアイデアマンだったりする可能性は高い。
もう1つ。②のパターンの意味するところは、「理性的に分解・分析し、解釈・解決案を出そうとすると大概同じ答えにならないか?」という投げかけだ。左脳で冷静に事象を紐解いていくプロセスは必要。その後に「直観によるアイデアの飛躍」というステップを踏まなかった場合は、えてして同じような回答になりやすいという印象だ。
ただ、一方で②で「直観によるアイデアの飛躍」を突き詰めた先にも何かあるとも感じている。
明快な答えは持ち合わせいないが「愛」かな。ロジカルの先は「愛」な気がする。